
バラの歴史は古く、そして奥が深い。ギリシア時代のローマ神話では、こんな話があります。
ローマ神話の中でヴィーナスとされるアフロディテは、キプロス島の近くの海の中から生まれたとされています。
そのとき大地は、「自分も神々と同じように美しいものを創造することができる」といって、バラの花を生み出してみせました。神々はこのバラの完璧な美しさを見て、神酒を注いで賞賛したと言われています。
この様子を、イタリアのフィレンツェ派の画家であるボッティチェリ(Sandro Botticelli 1445〜1510)の名画「ヴィーナスの誕生」に美しく描かれています。ギリシアではバラはアフロディテにささげられていたので、ローマ時代にはヴィーナスを象徴する花となり、ヴィーナスとバラにはさまざまな伝説が生まれたのです。
ギリシア・ローマ時代には、バラなどの香の強い花と、常緑の葉とであんだ花冠を宴会の席で頭にのせる風習が生まれました。これは、花冠をかむると酒に酔わないと信じられていたからです。またぶどう酒の盃にバラ、ローレル(月桂樹)などの花や小枝を入れると酒に酔わないともいわれていました。
バラが人々の中に特別なものとして受け入れられてくると、ローマやエジプトではバラを作る商人が現れました。「こんなにバラ作りが多くなると、生活に必要な野菜を作る畑がなくなってしまうではないか」といった皮肉さえ言われるようになったそうです。
西暦紀元後になると、ローマはますます強大となり、皇帝たちは贅沢の極みをつくします。皇帝ネロ(1世紀)はローマの丘に建てた宮殿を黄金で覆い、宴会では天井からバラ水(バラの香を水にうつしたもの)を散らし、ぶどう酒にはバラの香をつけ贅沢振り。さらに当時は、食前と食後には風呂に入る習慣だったので、湯の中にたくさんのバラ水をいれ、湯上りにはバラ香油をからだに塗らせたとまでいわれています。1晩に使ったお金は、今日のお金に換算すると15万ドルぐらいになるそうです。
ローマ帝国の末期には、バラを天井からつるした宴会では、その下で交わされた話は一切秘密にしようという風習が生まれました。その後、「バラの下で」(sub rosa)というと「秘密に」という意味となり、現在でも「バラの下で」(英語では(under the rose)という慣用句は、ローマ時代と同じ意味になっています。